花山東塚古墳(粟原)


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女寄峠近くの粟原谷の北側丘陵の尾根の南斜面を削り平坦面を造り墳丘を築いています。墳形は円墳(径17m,高さ3.5m)で南に開口しています。

 

横穴式の磚槨墳で羨道部は既に破壊されていますが残っている玄室部(玄室長約3.1m、幅約1.7m、現高約1.2m)はレンガ状に加工した榛原石を漆喰で塗り固めながら幾分、内傾させながら現状見えているだけで16段以上積まれています。天井石は花崗岩を4石架構し玄室の壁面には全面に漆喰が施されています。 

早くから盗掘されており棺や出土遺物は全く伝えられていませんが同じタイプの磚槨式石室との比較から築造年代は7世紀の中葉から後半?と考えられています。レンガ状の榛原石を漆喰で塗り固めてつくる磚槨式石室は宇陀、粟原谷、鳥見山南麓に集中(例外的に帯解黄金塚古墳がある)しておりその関係が注目されます。また花山西塚古墳とは当初から計画的に配置された双墓の関係も指摘されています。

 

【参考】大和の古墳探索 by とし坊