令和2年の広報「若櫻」で私たちの住む「忍阪区」自治会の活動が紹介されました。又、元区長の森本藤次氏の時代から友好関係にある箸中区のいろんな地元と密着した活動内容についても紹介されました。
忍阪の鏡王女墓から更に奥まった位置にある大伴皇女墓については、欽明天皇の皇女であるという事と宮内庁が測量した戦前の測量図しかなく、古墳そのものの実態も全くわかりませんでした。
何か手がかりになるような事がないかずっと探していたところ思いが通じたのか、たまたま図書館で借りた昭和14年発行の小冊子の嶽山古墳(宇陀市)の記事の中に、奥室を持つ古墳例として、こんな事が書かれていました。奥室を持つ古墳は、だいたい7世紀中頃が多いし・・・大伴皇女の生没年は判りませんが姉の推古天皇の生没年から推定して大伴皇女は7世紀中頃に亡くなってこの忍阪の地に葬られたとしてもおかしくはない。伝承とはいえその可能性が出てきたといえるかもしれません。勝手な想像を膨らませば舞谷古墳や忍阪8.9号墳のようなセンカク式石室かもしれません。
2014.10.30の日経(夕刊)に住民が守る「薬師さん」として石位寺の国内最古級の石仏や忍阪地区の取り組みなどを紹介いただきました。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASHC24H04_U4A021C1AA1P00/
奈良新聞2014.8.3の「祈りの大和路」で忍阪の石位寺 伝薬師三尊石仏が紹介されています。12面の全面(広告は除いて)を使って紹介いただいています。この記事がきっかけとなって忍阪ファンがふえればありがたいです。
2014年1月22日の産経新聞奈良版 奈良の地名 今昔さんぽで「山川のせせらぎとともに」と題し万葉歌人鏡王女の歌碑や通称、奥ノ谷を紹介いただいています。単なる紹介ではなくライターの、この地に対する思いが伝わってくるうれしい内容です。
人気地域情報紙の「月刊よみっこ」2013年11月号の「沿線散歩」大和朝倉で忍阪が2ページにわたり紹介されています。同時に11月10日(日)の「忍坂街道まつり」についても紹介されています。沢山の方を隠れ名所「忍阪」にお迎えできればと思っています。
2013.10.12の朝日新聞の「探訪 古き仏たち」に石位寺の伝 薬師三尊石仏が紹介されこの記事の切り抜きを手に全国から沢山の方が拝観に見えています。
2013年5月3日の奈良新聞に「忍阪の歴史紹介」と題し奈良県と忍阪区が共同制作し、このほど完成した「まちづくりマップ」の完成を伝えています。約1年近く前から奈良県の「なら・まちづくりコンシェルジュ」と忍阪区が忍阪の歴史風土を、わかりやすく伝えるために毎月打ち合わせを重ねこのほど完成したものです。ぜひご覧ください。(県や石位寺で配布中です。)
http://www.pref.nara.jp/secure/15271/2013-ossaka.pdf
朝日新聞でも紹介されました。
桜井市城島地区社会福祉協議会発行の「しきしまふれあい便り」(2013.4.1発行)に忍坂街道まつりの記事が紹介されました。
奈良県の県民だよりの、隠れた奈良の魅力再発見 とっておきの奈良で”いにしえの祈りが息づく記紀万葉の古里”と題し忍阪が紹介されました。
奈良の人気観光情報誌「やまとびと」に大和桜井見て歩る記 ”横大路を通り、忍阪の里へ”と題し数ページにわたり紹介されました。(2012年11.12月号)
奈良観光ガイドブック2012秋号の記紀万葉コラムに「神武東征の伝承地、記紀万葉故地「忍阪」と題し素晴らしい三尊石仏の写真とともに紹介されました。
2012年7月18日付け産経新聞の”今日も奈良はおさんぽ日和”に紹介されました。
2012年4月30日、朝日新聞奈良版の古事記編纂1300年 ゆかりを訪ねて で忍阪が紹介されました。
奈良県が「古事記」完成1300年で古事記にまつわる県下の名所を紹介した「名所図絵」で玉津島明神が紹介されています。(2012年1月発行)
2012年1月1日、桜井市の談山神社発行の「かたらひ」新春号で忍阪区が自主制作している万葉歌のDVDについて紹介いただきました。
2011年7月18日産経新聞奈良版の記紀万葉の風景(10)で県立図書情報館長の千田稔氏が忍坂山(現在の外鎌山)について書かれています。
2010年9月10日号で白洲信哉 ニッポンの神仏【第32回】で石位寺の薬師三尊石仏が多武峰の談山神社とともに紹介されています。